長くなったんで、某所に対するコメをこちらで。。。



事件直後の遺族の感情としては、早急な解決が何よりの供養であると考えてしまう為
公的機関の判断を無条件で支持してしまってるんだと思います。

が。

そこをあえて…あえて、感情を抑えて、冷静に判断する事こそが
一番の、供養になると思うんです。

例えば、死後というものが、あるとして。
殺害された当人の立場で、眺めれば。
怒りに任せた家族が、無関係な人間にただ感情だけをぶつけてしまっていて。
その人の人生すら自分の道連れになってしまっている状況なんて
死んでも死に切れない思いになってしまっているのかもしれません…


冤罪の多い世の中でもあります。

今や、原告・被告・裁判官の他にも、冷静に物事を判断・分析する立場の人間が必要なn
…てかそれがまさしく裁判官の役割なのに、何でこんな事態が起こりうるんだろう。。。

こういった事件における遺族の方は、どうか、どうか判断という物を意識して頂いて…
今、訴えている相手の生命も、失われてしまった生命と同じ1つであるという事…
今、訴えている内容が的を得ていれば、確かに万事が収まります、が。
本当に冤罪の多い世の中。万が一。その万が一は、生命が失われた事によって
あなたが受けたダメージを、冤罪被告の家族にも与えかねない、負の連鎖だという事。

個人的には、決定打が打たれるまでは、その被告を盾にしてまんまと逃げきろうとしてる
第三者の存在がいるかもしれないって位の意識が必要なんじゃないかなと思います。


ただ、実情を考えれば。
冷静に徹する為の精神的な負担というものが、余計に課されてしまう訳で。。。
それに対するメンタルケアも含めて、情報整理というか…遺族側の判断力のサポートを
する役割を持った人間が、必要なのかもしれません。


そして時には、遺族より捜査自体に疑問を投げかけるケースがあってもいいと思います。

それが無い為、捜査が時として「犯人のデッチ上げ」になってしまってるんだと思います。

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